私たちの中にある逞しさ
あなたは
故郷が好きですか?
原発事故後の福島県で
感じたこと
お仏壇には生きる
秘訣がいっぱい
職人が毎日
ブツブツ言ってます
(235日目)
↓ ↓ ↓
こんにちは!
広島でお仏壇のことなら
音羽屋の山縣です
音羽屋ではお仏壇をとおして
「仏教のおしえ」
「ご先祖の想い」
「今・ここ・自分」
に向き合うことで
生きやすくなる
ブツダンライフを
提供いたします!
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今日は「白虎隊の日」と
言われているそうです
幕末維新の影響から
戦うこととなった会津藩
そこは現在の福島県
最年少の白虎隊は
16歳から17歳までの
少年で編成されていました
死闘が続く中
城下町の火の手を
若松城が落城したと思い
20人の隊員が自刃
それが1868年の
今日になります
若者が自ら命を絶つ
悲しい記念日ですね
そう言えば
テレビドラマでは山Pが
主演を演じてたそうです
ほれぼれー
カッコいいですね~
うっとりします!
あ、僕は山縣なので
山Gです(笑)
そんな山Gは
東日本大震災1年半後に
福島県の南相馬市に
行った事があります
あるご縁で南相馬にある
同慶寺の田中徳雲住職と
知り合いになりました
当時の南相馬は
福島第一原発事故の
影響により「警戒区域」
になっていました
住民のみなさんは
それぞれバラバラの地域で
避難所生活
しかしお寺の檀家さんは
毎月お寺の掃除の為に
一時的に戻っているという
お話しをお聞きしました
一時侵入は許可されていて
宿泊はダメな状態なのに
なにをしに帰るのか?
それは同慶寺(どうけいじ)
にある相馬のお殿様の
お墓掃除の為だったんです
震災の影響で倒壊した
お殿様やご先祖様のお墓
人力では戻せないけど
せめて綺麗にしてあげよう
自分たちだけが
避難をしているのは
申し訳ない
そんなお気持ちだそうです
それを聞いて
感銘を受けた山Gは
「参加させてください」
思わず言ってしまいました
後日、住職と一緒にお寺へ
町には誰一人いません
車も通っていませんが
信号だけが点滅してます
本当はまだ泊まっては
ダメな期間でしたので
コッソリと住職と
お寺に寝袋で宿泊
さすがに怖かったのか
夜は金縛りにあいました
翌朝は二人で
持ち込んだ朝ご飯を頂き
明るくなって
境内を歩いていると
お地蔵さんやお墓が
たくさん倒壊していて
震災の凄まじさを
まじまじと感じました
しばらくすると
檀家さんが徐々に
集まってこられました
皆さんバラバラに
避難しているので
久しぶりに見るお顔に
自然と笑顔が出てきます
全員が揃ったら
まずは仏さまへお参りして
般若心経をお唱えします
その後、手分けをして
境内やお堂をお掃除
当時はゴミからも
放射能汚染の心配があり
ガイガーカウンターを
持っている方もおられました
僕は軍手を忘れたので
全く気にせずに
素手で掃除をしていました
その頃はものを触ったら
汚染するのではという
話しも出ていました
その姿を見てか
檀家さんが色々と
声を掛けてくださいました
皆さん本当に優しくて
笑顔がいっぱいで
なによりたくましい
農家さんが多いので
どの作物の放射能の
数値が幾らとか
情報交換しておられます
またこの土地に戻ってくる
お墓をちゃんと立てかえて
農業をやり直す
それしかないという
悲壮感ではなく
そうしたいという
希望に満ちた空気
自分たちの土地に
誇りをもち
生まれ育った土地を
繋いでいく
ご先祖がやってきたこと
それを繰り返すこと
受け継ぐことを
大切にしておられます
僕には当たり前のように
広島という故郷があります
そこに誇りをもてているか
考えさせられました
白虎隊の忠義のごとく
お殿様のお墓を守るという
150年以上経っても
変わらぬ風土
同じように
私たち一人ひとりも
先祖代々から受け継ぐ
いのちがあります
いのちには震災の後のような
悲惨な状況でも生きる
たくましさも入ってます
毎日のお仏壇のお参りで
ご先祖様と繋がることで
あなた本来のチカラ強さを
受け取ってください
お仏壇をとおして
仏教の教えで生きるヒントを
ご先祖さまからは生きる力を
いただきましょう!
本日もお読みいただき
ありがとうございました
ちなみに・・・
掃除の集まりのあと
帰り道は最寄り駅まで
送ってくださいました
その時に
持たせてくださったのは
大きなおにぎり
そして
その袋の中には
旅のお餞別まで
入っていました
避難所暮らしで
大変な皆さんが
いつの間にか
集めてくださった餞別
帰りの電車では
泣いてましたね~
あれ以来
行っていませんが
また何かのご縁で
広島と福島が繋がり
福の広がる島国
日本になるきっかけが
作れるといいですね!