「さとる」って何?/広島 仏壇 修復 音羽屋
あなたは
なに世代!?
木魚って
なんでサカナなの?
今日もブツブツ言ってます
職人ブログ101号は
↓ ↓ ↓
こんにちは!
広島のお仏壇修理専門
音羽屋の山縣です
音羽屋では
お仏壇という
家の中の大切な場所を
繋いでいくことで
「家ならでは」の想いが
伝わっていくことを
使命にしています
お仏壇のことで
皆様のお役に立てれば
嬉しいです!!
―――――――――
きょうは合同開催した
「新入社員研修」の
お手伝い役で参加
フレッシュな雰囲気が
イイですよねー
僕にもあんな頃があったのか!?
そうえば
参加者さんは「なに世代」
だろうと調べてみると
「ゆとり世代」~
「さとり世代」
にあたるようです
にしても
〇〇世代って
こんなにあるんですね~
僕は氷河期世代ですが
皆さんはなに世代ですか?
ゆとり世代の次が
さとり世代で
特徴としては
あらゆる欲が少なく
いわゆる
「若者の〇〇離れ」
を顕著にしていった世代とのこと
くるま離れとか
そういうことですかね
それにしても
「さとり」って凄いですね!
仏教でいうところの
「さとり」って
ある意味ゴールのような感じ
「さとる」は
「悟る」と「覚る」
とふたつの漢字があります
「悟る」をよく見ますが
比叡山のご住職から「覚る」
のほうがあてはまるよとお聞きしました
もともと「ブッダ」とは
「目覚めた人」という意味
お釈迦さまも「目覚めて」
「ブッダ」となられました
仏教を超簡単に
説明すると・・・
目覚めた人が説いた
目覚めるための教えで
みんなで目覚める!
のが「仏教」です
みんなで「ブッダ」に
なろう!という学びなんですね~
そこが他の宗教とは
異なる特徴だったりします
たとえばキリスト教では
人間が神になろう
という考えはありません
インドから中国
そして朝鮮から日本
と教えに少しずつ違いがでて
宗派で表現の仕方に
ちがいはありますが
「仏さま」になろうというのが仏教
みんなで
「目覚めよう」
という教えです
で・・・
何に?
目覚めるの?
東本願寺さんの
法話に分かりやすい
ものがありました
―――――――――
「一人ひとり
自分自身の尊さに
目覚めること」
―――――――――
自分自身が
かけがえのない
誰も代わることのできない
存在であるという
自分自身への
「目覚め」
一人ひとりが
誰とも比較することなく
「自分というものを生きる」
その尊さに目覚める
これが仏教の教えていること
私たちは
何もできないより
何かができる方が価値がある
と思っています
勉強や仕事
いろんなことができ
いろんなものを持っている
と尊い
と思っている
いつでも他人と
自分を比較し
さらに理想の自分
こうなったらと思う自分と
今の自分と比較
そして
こうならないと嫌だ!
と自分に条件をつけていきます
上も下もなく
一人ひとりが
比較することのない
尊さを持っている
あれっ
ちょっと長くなってきました(汗)
もう一度
一人ひとりが
誰とも比較することなく
「自分というものを生きる」
その尊さに目覚める
これが仏教の教えです
とはいっても
・コンプレックス
・うまくいかないこと
・自分が嫌になるとき
毎日いろいろあります
ぼくもよく落ち込みます
そんな時は
お仏壇に手を
あわせてみてください
お仏壇に手をあわせ
仏さまの教えを感じる
ご先祖さまの本に繋がる
そうすると自分自身が
かけがえのない
誰も代わることのできない存在
自分自身への
「目覚め」にきづけます
それが
今よりも明るく生きることへ
繋がっていきます
お仏壇をとおして
明るく楽しく
まいにちを過ごすには
音羽屋におまかせください!
本日もお読みいただき
ありがとうございました
ちなみに・・・
お仏具のなかに
「木魚」もくぎょ
というのがあります
「なんでさかな?」
魚は目を閉じて
寝ないことから
「魚のように
寝る間を惜しんで
日夜修行に励むように」
という修行僧への
戒めとして
この形になったそうです
覚める前に
寝させない!
ひえーー
ひえーざん!