日々の出来事
日々の作業や出来事を、出来るだけ毎日綴ってます…。
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職人の日記 2014.09.26
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職人の日記 2014.09.25
お仏壇と一緒に額をお預かりしました。
ガラスには、親鸞聖人のお話しの一つ
川越の名号の場面が描かれていました。
中央部分には聖人の
詠まれた詩も書かれていました。
「柿崎にしぶしぶ宿をかりけるに、
主の心 熟柿(うれし)とそなる」
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以下は場面の解説として、五色園さんから引用させてもらいました。
草庵を後にして国府に向かわれた聖人。
途中雪に見舞われ、柿崎につくころにはすっかり日も暮れてしまいました。そこで聖人はこの地の扇屋の門をたたき一夜の宿を請うことにしました。しかし扇屋夫婦は邪険に断り「軒下なら勝手にするがいい。」と言って戸を閉めてしまいました。そこで聖人は厚く礼をのべられ、念仏を唱えながら夜の明けるのをお待ちになりました。流石に無情の夫婦も、戸の隙間より漏れてくる念仏の声を聞いて、尊さが身にしみて自らの非礼を詫び、聖人を家の中へお招きになりました。
ここで聖人は御仏の教えをお説きになると、夫婦はたちまち念仏の行者となりました。非常にお喜びになった聖人は扇屋に「南無不可思議光如来」の九字の名号を与え。翌朝「柿崎にしぶしぶ宿をとりけるに、主の心熟柿(うれし)なりけり」と地名の柿崎を折り込んだ歌を詠まれました。それに対し扇屋の主人も「かけ通る法師に宿を貸しければ書き(柿)呉れたりや九字の名号」と返しました。
扇屋の妻は聖人の発ったあと、名残を惜しみ聖人のお跡を慕っていきました。そして、既に川を渡られた聖人にお形見をお願いしますと聖人は向こう岸からこちらに向かって空中に六字の名号を書かれました。すると扇屋の妻の手元の紙に「南無阿弥陀仏」の六字が浮かび上がったのです。扇屋の妻は歓喜してこれを押し頂き、川越しに聖人とお別れいたしました。 -
職人の日記 2014.09.24
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職人の日記 2014.09.22
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職人の日記 2014.09.20
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職人の日記 2014.09.18
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職人の日記 2014.09.17
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職人の日記 2014.09.16
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職人の日記 2014.09.15
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職人の日記 2014.09.13
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職人の日記 2014.09.12
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職人の日記 2014.09.11
お仏壇をお納めしたお客様から
貴重な日本国旗を見せて頂きました。
お亡くなりになられたご主人が
戦争に行く前に周りの男性から
寄せ書きをしてもらったという国旗。
この大切な国旗をお腹に巻いて
戦場へ向かわれる予定だったそうです。
九州へ移動したところで、終戦。
国旗は、ご主人とともに戻ってきました。
当時、多くの女性が一枚の布に
糸を縫い付けて結び目を作った
「千人針」というお守りもあったそうです。
今、この国旗は大切に
お仏壇の奥に納められています。
初めて目にした、寄せ書きの国旗。
これから、日本の国旗を見るたびに
この様な時代があったことを思い出すことでしょう。
もう二度と戦争が起こらない事を祈っています。