あの大震災から28年
学生の頃にいつも
通りがかっていた小学校と
おばあちゃんが抱えて逃げた
お仏像のお話しです
お仏壇には生きる
秘訣がいっぱい
職人が毎日
ブツブツ言ってます
(383日目)
↓ ↓ ↓
こんにちは!
広島でお仏壇のことなら
音羽屋の山縣です
まごころこもった
お仏壇修復で
「仏教のおしえ
で生きるヒントを」
「ご先祖の想いで
生きるチカラを」
イキイキした
ブツダンライフを
お届けしています!
これまでの修復実績を
確認したい方はコチラから
阪神大震災の時は
どこにいたの?
高校生だから
広島にいたね
わたしは
大阪にいたけど
大きく揺れたわ
三年後に住んだ時は
まだ復興中だったね
6434人が亡くなった大震災
阪神・淡路大震災から
今日で28年となりますね
僕はあの震災の三年後に
神戸市東灘区で
下宿をしていました
東灘区は1470名の方が
震災でお亡くなりに
なられました
その中には
小学校に通う
児童もいたそうです
東灘区にある
「本山第二小学校」
僕は
その小学校の横を通って
大学に通っていました
その小学校に通っていた
5年生の真奈ちゃんと
お母さんのお話しが
朝刊に載っていました
震災で自宅は全壊
真奈ちゃんは
家の大きな梁(はり)の
下敷きになり意識不明に
「病院できっと
治してもらえる」
お母さんは
助けたい一心で
娘さんを車に乗せたけど
橋が壊れて進めず・・・
病院には
たどり着けませんでした
真奈ちゃんは
車の中で
息をひきとったそうです
「おばちゃん、
行っていい?」
毎年、1月17日が近づくと
30代後半になる
真奈さんの同級生から
連絡があるそうです
校庭の中には
被災した児童が組み立てた
「震災資料館」があります
あの時
この学校で亡くなった
児童が4人います
その中の1人が
娘です
4人の写真が
ログハウスにあります
そう語りかけながら
彼女のお母さんは
震災の体験を
伝えておられるそうです
ログハウスの
時計の針は
5時46分です
生きられなかった
娘たちに
仲間なんだよ
この学校に
通っていたんだよ
その証を残そうと
してくれているんです
老朽化したログハウスは
子どもたちに勇気を与える
学校のシンボル
修理をして
これから先も
残していかれるそうです
先日
修復のご依頼を頂いた
お客さまのお仏壇から
古い阿弥陀如来像と
家系図が出てきました
原爆が落ち
家は燃えました
私の祖母は
この阿弥陀さんを
抱きかかえて
逃げたと聞いてます
凄いおばあ様ですね!
焼け野原の中
祖母は
阿弥陀さまと
生きてきました
きっと
大変だったでしょうね
生きた証として
阿弥陀さまは
我が家の
シンボルなんです
何かあった時に
私たちに
勇気をくれるんです
なるほど~
家系図の
だれか一人が
欠けても
今の私たちは
ありません
かけがいのない日常が
どれほどありがたいか
大切なことって
目に見えないんですよね
いのちの繋がりですね
家系図を囲んで皆さんと団らん
ご先祖から受け継ぐお仏壇
その中には
ご先祖が伝えたかった
大切な想いや
貴重なモノがあります
家系図や過去帳
そして
そのご先祖にまつわる
エピソードを聞いたとき
生きる勇気をもらえます
震災のシンボルとして
小学校にログハウスがあり
真奈さんの命が
みんなの勇気となるように
家族のシンボルとして
わが家にお仏壇があり
ご先祖の命が
私たちの勇気になります
是非
代々のお仏壇の前で
ご先祖の話しを
してみてください
きっと
あなたの勇気になります
長くなりましたが
最後に・・・
昔NHKで流れていた
竹内まりやさんの
「いのちの歌」
の歌詞の一部を載せて
震災で亡くなられた方への
お祈りにしたいと思います
音羽屋では
まごころこめて
お仏壇を修復することで
仏教の教えで
生きるヒントを
ご先祖さまからは
生きる力を
イキイキできる
ブツダンライフを
お届けします
本日もお読みいただき
ありがとうございました
ちなみに・・・
竹内まりやさんの
「いのちの歌」は
合唱でも
よく歌われていますね
お時間あれば
お聞きください
どうぞ
エエ歌ですね
Profile
お仏壇の修復業を主として、広島県内を中心に仏壇に関するお困り事を解決しています。
中国地方で唯一工法特許を取得した洗浄技術の使用許可を持っています。
お仏壇を美しく、よみがえらせることで、より多くの家の、その家らしさをよみがえらせていきます。
音羽屋では、まごころこめて、お仏壇を修復することで
プロフィール詳細「仏教の教えで生きるヒントを」
「ご先祖さまからは生きる力を」
イキイキできるブツダンライフを伝えていきます!