広島で仏壇の修理修復の専門「音羽屋」の
職人が仏教や仏壇のことを楽しく綴る

お仏壇で記憶を伝える事の大切さ

お仏壇のこと

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平和記念公園で

慰霊祭に参加して

 

 

記憶を伝えていくことが

大切だと気付きました

 

 

お仏壇には生きる
秘訣がいっぱい

 

 

職人が毎日
ブツブツ言ってます
(531
日目)
↓ ↓ ↓

 

 

こんにちは!

 

広島でお仏壇のことなら

音羽屋の山縣です

 

わたしたちは
まごころこもった
お仏壇の修復で

 

「仏教のおしえ

で生きるヒントを」

 

「ご先祖の想いで

生きるチカラを」

 

イキイキ生きる

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お届けしています!

 

 

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会話

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会話

行ってらっしゃい

 

 

 

 

8月6日登校日

中学と小学校の

お兄ちゃんふたりは学校へ

 

 

 

 

僕も平和記念公園での

慰霊祭に参列してきました

 

 

 

 

参列をしたのは

「平和記念式典」ではなく

すぐそばで開かれた

 

 

 

 

「中島本町平和観音慰霊祭」

 

 

 

 

 

 

無くなった町に対する

惜別の思いと

犠牲者への慰霊のために

建立された

 

 

 

 

「平和の観音像」
「中島本町町民慰霊碑」

 

 

 

 

 

 

今年の2月に

この慰霊碑の碑文の

墨入れをさせてもらいました

 

 

 

 

その碑文のなかに

「毎年8月6日午前9時より

慰霊祭を施行いたしますので

多数ご参詣ください」

 

 

 

 

と書かれていましたので

参加させてもらいました

 

 

 

 

 

 

消えた町

 

 

 

 

平和公園があるこの場所は

原爆投下前は

中島本町という繁華街

 

 

 

 

中島本通り商店街には

大きな店舗が並び

映画館、カフェ、ビリヤード

でにぎわっていたそうです

 

 

 

 

中島本町は

爆心地のすぐ近くのため

 

 

 

 

住民はほぼ全滅

458人が犠牲になりました

 

 

 

 

戦後、平和記念公園となり

転居を余儀なくされ

 

 

 

 

町は姿を消しました

 

 

 

 

 

 

疎開して生き残った

町民により

結成された中島本町会

 

 

 

 

慰霊祭は

そのメンバーと親族の方々で

開催されています

 

 

 

減っていく遺族

 

 

 

 

慰霊祭の冒頭

「悲しいお知らせが・・・」

とはじまりました

 

 

 

 

今年に入って

メンバーのお二人が

お亡くなりになられ

 

 

 

 

そのうちのお一人は

この会の代表の方

だったそうです

 

 

 

 

代表の方のご子息が

ご挨拶をされ

慰霊祭は

厳かに始まりました

 

 

 

 

 

 

被爆者の平均年齢は85歳

 

 

 

 

当時の悲惨な状況を

記憶しておられる方々も

減っていく一方

 

 

 

 

実際に参列してみると

ご年配の方が多く

杖をつく方もおられるのを

目の当たりにすると

 

 

 

 

この記憶を

繋いでいくことが

大切だということが

よく分かりました

 

 

 

人間は二度死ぬ

 

 

 

 

読経とお焼香がおわり

 

 

 

 

ご住職が

お亡くなりになられた

代表の方との思い出を

お話ししてくださいました

 

 

 

 

とても記憶力のよい方

だったそうで

その方がお話しされると

 

 

 

 

原爆前のにぎやかだった

中島本町が色あざやかに

よみがえってきたそうです

 

 

 

 

昔の中島本町の

メインの通りは

現在は平和公園内を

横切る道路になっています

 

 

 

 

 

 

ご住職は続けて

永六輔さんの名言

「人間は二度死ぬ」を引用

 

 

 

 

一度目の死は肉体の死

二度目の死は

記憶からなくなった時

 

 

 

 

代表の方が昔の中島本町の

お話しをされるのは

この町の記憶を

無くしてほしくないから

 

 

 

 

そして

その記憶が

無くなるということは

 

 

 

 

原爆の悲惨な記憶が

なくなっていく事にも

繋がっていくのではないか

 

 

 

 

人間は都合のよい生き物

どれだけ

悲惨なことがあっても

過ちを繰り返そうとします

 

 

 

 

あのにぎやかだった

中島本町が

すべて消えてしまった

という事実があっても

 

 

 

 

その事実を

記憶している人が

いなくなり

 

 

 

 

その記憶すらなくなると

何もなかったことになる

 

 

 

 

ここに町があったことを

知らない人が

平和記念公園を訪れた時

 

 

 

 

「アメリカ軍は広い公園に

原爆を落としたんですね」

と言ったそうです

 

 

 

 

事実を知らないと

そう解釈してしまうんです

 

 

 

記憶を伝えることの大切さ

 

 

 

 

人から人へ

記憶を伝えていくことの

大切さ

 

 

 

 

初めて8月6日に

平和記念公園に行って

慰霊祭に参加して

気づくことが出来ました

 

 

 

 

祈る場所があって

祈る式典があって

祈る人々がいる

 

 

 

 

そのことによって

記憶は伝わっていきます

 

 

 

 

記憶を伝える方法は

語ったり、文章にしたり

今であれば映像にしたり

様々あります

 

 

 

 

しかし

祈る場所があって

祈る式典があって

祈る人々がいる

 

 

 

 

このことが無ければ

記憶を伝えるということの

大切さは薄れていきます

 

 

 

 

僕たちが

さわらせてもらっている

お仏壇も同様

 

 

 

 

お参りする場所

お参りする法要

お参りする私たち

 

 

 

 

それは単なる

仏教行事ではなく

先祖の記憶を伝えていくこと

 

 

 

 

ご先祖からの

大切なエピソードを

子孫へ繋いでいくお仏壇

 

 

 

 

お盆という節目を前に

改めて重要なことを

教えて頂きました

 

 

 

 

ご縁を頂き

ありがとうございました

 

 

 

 

 

 

ちなみに・・・

 

 

 

原爆が投下されたのは

原爆ドームの上ではなく

 

 

ドームの裏にある

「島内科医院」の上

 

 

 

 

病院の上空600mで

炸裂したそうです

 

 

 

その空を見上げると

青空に白い雲でした

 

 

 

 

こんな空を

世界中のどこでも

見上げられるといいですね

 

 

 

な~む~考えてる顔

 

 

 

 

 

 

 

 

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仏教大好き職人

                               
名前山縣 俊二
住まい広島県

Profile

お仏壇の修復業を主として、広島県内を中心に仏壇に関するお困り事を解決しています。

中国地方で唯一工法特許を取得した洗浄技術の使用許可を持っています。

お仏壇を美しく、よみがえらせることで、より多くの家の、その家らしさをよみがえらせていきます。

音羽屋では、まごころこめて、お仏壇を修復することで
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