どうして霊感商法が
なくならないのか?
よい学びをしたければ
組織よりも〇〇を見よう!
お仏壇には生きる
秘訣がいっぱい
職人が毎日
ブツブツ言ってます
(579日目)
↓ ↓ ↓
こんにちは!
広島でお仏壇のことなら
音羽屋の山縣です
わたしたちは
お仏壇をとおして
「仏教のおしえ
で生きるヒントを」
「ご先祖の想いで
生きるチカラを」
イキイキ生きる
ブツダンライフを
お届けしています!
これまでの修復実績を
確認したい方はコチラから
宗教って
怪しいイメージね~
よく言われます
人を集めようとするし
そ、そうですよね
とうとうですね・・・
旧統一教会に対して
「宗教法人としては
もう解散しなさい!」
という
解散命令を裁判所に
お願いしたようです
問題はやはり
長きに渡る献金被害
政府として
解散させるべきと
判断したようです
今回のように
解散命令が確定したのは
これまでに
オウム真理教と
霊感商法で詐欺をした
明覚寺の2件
どうして
こんなことになるのか?
「宗教」という言葉への
「負」の
イメージが強いのは
このような事件も
おおいに関係している
と感じます
お仏壇という
宗教用具を扱う立場として
様々なことを
考えてしまいます
う~ん
今日のブログは
書くのに悩むな~
ちょうど昨日の夜は
オンラインで
「新仏教教団を学ぼう」
という講座に参加しました
なかなかタイムリー
「新仏教教団」
というのは
仏教をもとにした
新宗教のことになります
そもそも
新宗教ってなんのこと?
伝統的な宗教に対して
比較的歴史が浅い宗教を
「新宗教」または
「新興宗教」と呼んでいて
日本においては
明治以降に
立ち上がった宗教を
新宗教と位置付けています
その中には
明治よりも前に出来たモノも
含まれているので
ちょっと曖昧
だったりもしますが
有名なところですと
創価学会
幸福の科学
浄土真宗親鸞会
などですね
それに対して
「伝統仏教」というのは
天台宗、真言宗、浄土宗
曹洞宗、臨済宗、日蓮宗
浄土真宗などなどの
13に分かれる宗派のことで
明治に出来た
「宗教団体法」において
区分けをしたことで
「伝統」と「新興」
という言葉だけが
ハッキリとしてしまいました
言葉のニュアンスや
周りのイメージによって
「伝統」と聞くと
歴史があって本筋ぽいし
「新興」と聞くと
新しいからオリジナルかな
というような
違いを見つけたくなり
二つを並べて
良いか悪いというように
区別したくなりますが
そういう違いは
全くありません
今回の講座では
違いを見つける
というのではなく
仏教系新宗教の
成り立ちや考え方
広まっていった背景
などから
その特徴を学ぼう
というもので
東京大学名誉教授の
島薗 進 先生が
(しまぞの すすむ)
が解説してくださいました
100人以上の
参加者がいたようで
その中には
わたしは
曹洞宗の僧侶です
伝統仏教と調和するには
どうすればいいですか?
という質問も出てました
なかなか難しい内容も
あったのですが
計5回の連続講座なので
引き続き
勉強していこうと思います
お仏壇にふれる
仕事をさせてもらう中で
前述の
伝統仏教のお仏壇を
修復することもあれば
新宗教のお仏壇を
修復させてもらう事も
もちろんあります
その際、直接
お客さまと接しますが
伝統だからとか
新宗教だからという
違いを感じることは
ありません
その家、その人で
仏さまご先祖さまを
大切にしてくださり
あたたかい信仰心を感じます
一人ひとりで見ると
純粋なこころで
日々のお参りをしていても
団体や組織になると
その中身が
変わってくるんです
この度の旧統一教会は
キリスト教系の新宗教という
くくりになりますが
宗教との出会いや
入信したきっかけ
その後の活動において
信者さん一人ひとりは
本当に純粋なこころで
救われたいと
信じておられたと思います
僕自身も
わが家は浄土真宗ですが
それとは別に
おじいちゃん
おばあちゃんが
PL教団に入っていたり
両親も円応教という
新興宗教に入っていた
時期がありました
代々が浄土真宗なので
お寺さんへのお参りや
法事にはお坊さんが
家に来ることもありました
それと合わせて
新宗教の活動を
熱心に取り組んでいた
時期も覚えています
あの頃を
振り返ってみると
新宗教の活動は
多くの人が集まっていて
みなさん明るくて
仲の良い印象
お寺の行事では
参加者が少ない時もあり
静かで閉鎖的だなぁ~
という印象があります
今回の講座では
これらの特徴も出ていたので
実体験もあり
納得しやすかったです
現在はというと
祖父母は他界し
両親もずいぶん前に
完全に縁を切っています
縁を切ることになったのは
やはり
お金のことでしたね
細かいことは
差し控えますが
お世話になっていた
新宗教の先生が
だんだんと
お金に執着していき
信者さんへの接し方に
あきらかな差が
出てきたんです
旧統一教会においても
規模が大きくなり
お金がドンドン入ってきて
集団として
間違った方向に進んで
いったのかもしれません
花園大学の仏教学者
佐々木 閑 先生によると
(ささき しずか)
もともとは
一人ひとりの心の平安を
目的として
生み出されたはずの宗教も
それがやがて
大きな団体になり
権利や収入を求める人が
トップに立つと
本来の目的は忘れられて
信者を増やそう!
勢力を拡大しよう!
となっていくようです
そうなると
布教の意味も変わってきて
「苦しんでいる人を
救うため」
であったものが
いつの間にか
「組織の拡大と
お布施の獲得の活動」
になってしまい
相手を脅してでも
活動をしてしまう
ようになるそうです
一人ひとりのため
であった宗教が
「教団のため」
と言い出した時から
宗教の堕落が始まると
先生は仰っておられます
そしてこれは
仏教や日本に限らず
今に始まったこと
でもないそうです
伝統的な宗教が
組織として大きくなると
内部はダメになっていき
信者さんから
お布施や献金を
集めることに夢中になり
それに反発した改革派が
新しい宗教を創設
しかし
改革派も時代とともに堕落し
布施、献金に夢中になる
という
残念なサイクルがずっと
続いているんです
つまり
今回のような悪しき活動は
現代だけの現象ではなく
人間の宗教の歴史で
いたるところに現れた
普通の現象の
一つにすぎないんです
では・・・
お釈迦さまの時代は
どうだったのか?
「拡大」ではなく
「維持」だったようです
拡大しようとすると
収益が必要になります
しかし
維持であれば
そのままで良いので
托鉢でご飯を頂いても
余計なモノ、贅沢なモノは
受け取らないように!
と決められていました
維持を目的とすると
質素で謙虚な姿で
生きていけます
ただ・・・
このお釈迦様の思いを
そのまま実現している
仏教の教団は
ほとんど存在しません
どの宗派も
組織が大きく
なりすぎたんでしょうね
しかし
組織が堕落したとしても
個人的に
立派に生きておられる
お坊さんは沢山おられます
宗教に限らず
組織の繁栄を目的とすると
集団はずれていきます
組織のことを
優先するのではなく
一人ひとりが
安心して穏やかに
生きるというコトを
まっ先に
考えておられる人ならば
それは
「組織の繁栄を
目標としない考え」
ということになります
よい学びに出会いたい
よい教えを学びたい
と思ったら
その団体や組織ではなく
一人ひとりの生き方を
見ていくことが
大切なんでしょうね
宗教に関係する
仕事をしている
一人として
自分の生き方を
常に見ておかないと
と考えさせられる
一日でした
音羽屋では
お仏壇をとおして
仏教の教えで
生きるヒントを
ご先祖さまからは
生きる力を
イキイキできる
ブツダンライフを
お届けします
本日もお読みいただき
ありがとうございました
ちなみに・・・
それにしても
長いブログに
なってしまいました
それに・・・
考えすぎて
いつもより
抜けちゃったな~~
僕も拡大よりも
維持を目標にしないと
Profile
お仏壇の修復業を主として、広島県内を中心に仏壇に関するお困り事を解決しています。
中国地方で唯一工法特許を取得した洗浄技術の使用許可を持っています。
お仏壇を美しく、よみがえらせることで、より多くの家の、その家らしさをよみがえらせていきます。
音羽屋では、まごころこめて、お仏壇を修復することで
プロフィール詳細「仏教の教えで生きるヒントを」
「ご先祖さまからは生きる力を」
イキイキできるブツダンライフを伝えていきます!